
はじめに
これは、40代の私が、小学生の娘を連れて、離婚し、沖縄の石垣島へ移住するまでの物語です。
不安や葛藤、そして希望。
このブログには、私の身に今まさに起こっている出来事や、そのとき感じるありのままの感情を、リアルタイムで綴っていきます。
もし今、あなたが新しい人生を歩むべきか迷っていたり、一歩を踏み出す勇気が出なかったりするなら、このブログを一緒に読み進めてみませんか。
私のこの挑戦が、いつかあなたの力になることを願っています。
モラハラの実態
私が長年耐え続けてきた「日常」が、実は異常なものだった。
子どもがまだ小さかった頃は、目の前の仕事と子育てに必死で、自分の状況を深く考える余裕なんてありませんでした。 でも、子どもが小学生になり、ふと立ち止まって過去を振り返ったとき、衝撃を受けました。 私が「当たり前」だと思っていた夫の言動は、決して当たり前ではなかったのです。
夫は、子どもたちの学校行事に一度も参加しませんでした。 また、家事もすべて私の仕事でした。 それなのに、自営業でやっている飲食店の仕事に関しては、きっちりと平等に分けようとします。 少しでも気に入らないことがあると、すぐに怒鳴り散らしたり、何日も無視をしたり。 私が高熱を出して寝込んでいるときも、「解熱剤を飲めば熱下がるんでしょ」と言い放ち、横で平然と酒を飲み始めるような人でした。 子どもを保育園に迎えに一人で行ったことなんて、6年間でただの一度もありませんでした。
自宅兼店舗の建物は、築10年以上が経ち、あちこちに不具合が出てきていました。 食洗器が壊れても、水道が壊れても、下水が詰まっても、網戸が破れても、外壁が傷んでも、夫は一切手を出しませんでした。 それどころか、「お前の使い方が悪いんじゃないか」「掃除をちゃんとしないからだ」と、すべてを私のせいにして放置するのです。
私は争いごとが苦手で、イラっとはするものの、言い返すことができませんでした。 いつだって、すべてを諦めて、淡々と仕事をこなすことしかできなかった。 そんな風に、自分を押し殺して生きてきたのです。
夫に立ち向かう勇気、ジョギングがくれたもの
長年のモラハラに気づいてからも、夫に対して対等にものを言うことはできませんでした。 争いごとを避け、自分を押し殺すのが癖になっていたからです。 そんな私に、夫と対峙する勇気をくれたのは、意外にもジョギングでした。
もともと運動は全く好きではなく、野球部が暑い中 外を走っているのをみて、おんなじ人間とは思えないと学生時代は感じていました。そんな私も、完全に中年になり、もし私に何かあったときに、こんな夫に娘を任せることはできないと、急に不安になり、健康のために田舎でも道具なしで一人で始められる運動ということでジョギングを選びました。
ひとまず、ひざや腰を壊さないために、ちゃんとしたジョギングシューズを買って、週に2〜3回、30分ほどゆっくり走ることから始めました。普通のスニーカーとは全然違うんです。ジョギングシューズだと、楽しく走れるんです。 初めはただ、頭の中を空っぽにしたくて、ただひたすら無心で走りました。 汗をかくたびに、心に溜まっていた重いものが少しずつ流れ出ていくような気がして、走り終わる頃には、なんとも言えない清々しい気持ちになりました。 走りながら、これからのこと、子どものこと、そして何より自分の人生について、ゆっくりと考える時間を持てるようになったのです。
ジョギングを始めて1か月ほど経った頃、体にも変化が現れました。 便通がよくなり、ご飯が前よりずっと美味しく感じられるようになりました。 夜中に目が覚めてしまうことも減り、体全体が元気になっていくのがわかりました。 何より、いつも夫の顔色をうかがっていた私の気分が、少しずつ明るくなってきたのです。
走ることで心と体が整っていくにつれて、夫への恐怖心が薄れていくのを感じました。 そしてついに、長年諦めていた気持ちを夫にぶつけてみよう、対等な立場で話してみよう、そう思えるようになったのです。
この小さな一歩が、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
これ以上、この異常な「日常」に、子どもを巻き込むわけにはいかない。 そう強く思ったとき、私の中で何かが決壊しました。 そして、私はこの場所を離れることを決めたのです。
コメント